「母の日」、この日は、普段その存在のありがたみを特に意識しない母親に、誰でも、なんとなく何かを伝えたい、と思う日かもしれない。そのくせこの母の日を振り返ってみると、じつは何もしていないことに気付き、自分の「親不孝ぶり」に、自身であきれたりもしている。 母の日に何かプレゼントを贈った思い出がないかと必死に思い出そうとしてみた。妹と1回くらいは何か贈ったような気もするが、はっきりしないのだ。全くと言っていいほど記憶にない。あっ、いや、一つあったぞ。小学生のころ、学校でもらった造花のカーネーションだ。しかし、どんな顔で母が受け取ってくれたかの記憶も残念ながら、ない。 小さいころからの母の思い出は、「恐い」のひと言。厳格な家風で育った母には、立ち居振る舞いまで一つ一つしつけられた。「嘘をつかないこと」「挨拶をしっかりすること」など基本的な礼儀については、人一倍厳しい人で、特別なことではなく、人が当たり前にしなければならないことを「躾(しつけ)」として私に教えてきた。兄妹喧嘩をすると、どっちが悪いかは関係なく、殴られて、追い掛け回された。 二階への階段を上がりきった突き当たりに、外からカンヌキのかかる押入れがあり、そこへ放り込まれると、真っ暗で、心細い思いをしたものだ。世界で一番恐い存在は母親で、それは、母親よりも体が大きくなってからでも変わらなかったように思う。今から思えば、曲がりなりにも、一人の大人として成長できたのは、この「躾(しつけ)」のおかげだと思っている。しかし母本人に、それを言ったことはない。 叱られたあと、何より慰められたのは、母のカレーだった。何より、誰のより、母のカレーはうまかった。私にとっての最高のご馳走は、今でも母のカレーだ。 今まで、これと言って感謝の言葉など言ったことはないし、いまさらあらためて言うのも照れくさい。今年は新緑の季節になったら母と一緒に山にでも行こうと考えている。長年の感謝の気持ちを込めて…。