北陸新幹線開通
製造部資材課 ハンドルネーム 別段ひとり(30代・男性)
電車で東京から富山に向かう場合、これまでは、東京駅から上越新幹線に乗り、越後湯沢駅でほくほく線に乗り継いできました。この度、県民の宿願叶っての「北陸新幹線開通」と相成るわけですが、直通運転になるということは乗り継ぎが無くなるわけです。 故郷にスイッチ切替え かつて東京で学び働き遊んだ私は、帰省のたびに電車を利用しており、越後湯沢での乗り継ぎ回数は50回をゆうに超えるほどです。そんな私にとって、越後湯沢での乗り継ぎが無くなることについては、すこし名残惜しい気持ちもあります。 例えば、今のような冬の季節。東京からの新幹線を降りて雪の散らつくホームに立ち、寒さに身を固くします。出てくるのは「寒いな。」という言葉だけになってしまいがちですが、この「寒さ」が、特別な郷愁を呼び起こさせるとでも言いましょうか、越後湯沢駅の寒さは富山に帰ることを強く感じさせるものでした。多分、何度も何度もこの駅で乗り継ぎ、そのたびに手持ち無沙汰に思いを巡らせていたので、このような反応が習慣化されてしまったのでしょう。 はくたかに乗りこめば、乗客の声に帯びる富山弁のイントネーションが耳に飛び込んできて、富山に近づいたことを実感します。電車はすぐにトンネル区間に入るため、窓の外は真っ暗、携帯電話も通じず何もすることがないので、耳慣れた方言をぼんやりと聞き流しながら、リラックスした時間を過ごします。そこには、地元のローカル線ならではの安心感があるのかもしれません。慌ただしい都会で暮らしていると、故郷に思いを馳せる時間など無いのが現実だったのですが、乗り継ぎの中で、自然と頭のスイッチが切り替わっていくこの時間を、私は大切にしていました。 このように、私にとって越後湯沢での乗り継ぎは、東京と富山のスキマをうめるものでしたから、この乗り継ぎが無くなるのは、やはりさみしい気がします。新幹線が当たり前になれば、そのうちこの感覚も忘れてしまうでしょうから、このエッセイに書き残しておくことにしたいと思います。