平成という時代 〜私のアングル〜 「スポーツ」
技術部機械保全課 ハンドルネーム 鹿の角(40代・男性)
2019年4月30日に「平成」が幕を閉じることとなります。ひとえに30年といっても、いろいろな出来事がありましたが、私の視点からですが、特に大好きなサッカーと関わった“平成”という時代を少し思い出してみたいなと思います。 いつかまた、ディープレッドのユニフォームを着て 平成元年4月、私は現在の実家のある茨城県龍ヶ崎市に引っ越しました。友達を作ろうとスポーツクラブを探しました。当時は野球が流行っていて男子生徒の多くが野球チームに所属していましたが、そんな中、野球音痴だった私が選択したのがサッカーでした。楽しくて仕方がなく、晴れても雨でも構わず毎日練習をしに、近くの幼稚園に行って泥だらけになっていました。 中学入学と同時にサッカーは辞めてしまったのですが、平成5年のJリーグ開幕を機に鹿島アントラーズのファンに。開幕戦のジーコのハットトリックに大興奮、たちまちファンになりました。たまに学校をさぼり、親の目を盗んで友人と鹿島スタジアムへ応援に行ったことも…(笑)。当時は現役ブラジル代表のレオナルドやジョルジーニョといった選手が活躍しており、まさにアントラーズの全盛期。世界レベルのサッカーを生で観戦できたことはいい思い出です。 私が富山に来たのちにも、何故か鹿島アントラーズと縁がありました。アントラーズの富山での試合前日、全日空ホテルでアルバイトをしていたところ、なんと目の前に柳沢選手が!テレビで見ると華奢に見えますが、実物はとんでもなくごっつい身体とオーラを放っていて、びっくりしたことは今でも覚えています。直後にはジーコ監督や小笠原選手、本山選手など憧れの選手たちがぞろぞろと歩いて来て、バイトそっちのけにして握手してもらいましたね(笑)。 鹿島アントラーズはJリーグ開幕からの26年間で実に8度の優勝を誇り、今年も念願のAFC(アジアサッカー連盟が主催するサッカーの国際大会)を制しました。平成のJリーグを支えた常勝・最高のチームだと思っています。残念ながらヨーロッパや南米のチームに敗北してしまいましたが、功績は日本サッカーの歴史に深く刻まれていると思います。 新元号がスタートする新しい時代、いつかチャンピオンに輝いてくれることを心待ちにしています。最近は、なかなか観戦にも行けなくなりましたが、機会があればあのディープレッドのユニフォームを着てまた応援に行きたいですね。