5月22日「サイクリングの日」
協力会社 ハンドルネーム 渡辺ミノル(50代・男性)
私は、小さい頃から自転車が大好きで、今も生活の足として、また趣味として、自転車に乗っています。昔は数台持っていましたが、住んでいるマンションでは、メンテナンスの場所が制限されるので、今は「ロードバイク」と「マウンテンバイク」の2台で、目的によって使い分けています。通勤や街中を出歩く時に乗る自転車(マウンテンバイク)と、“戦うために乗る自転車”(ロードバイク)です。 自転車にハマルきっかけは、通称“ママチャリ”と呼ばれる普通の自転車で石川県まで行ったことでした。一日かけて行ってきた話を職場ですると、「すごい!すごい!」と、とても盛り上がりました。自分ではそれほど大したこととは思っていなかったのですが、皆が応援してくれているようで嬉しかったです。 走り続けて『無』の境地に カメラ片手に、マウンテンバイクで近所を散策することもありますが、ちょっと遠出するときはロードバイクです。今まで石川県、岐阜県高山市、長野県、愛知県名古屋市などへ走らせてきました。 ロードバイク用のウエアに着替える時は、とても緊張します。ロードバイクに乗る時は、戦いだと思っているので、“楽しい”という感情はなく、“出陣”といった感じでしょうか。しかし「これから大変だ」という「覚悟」のような気持ちはありません。走行中の自分自身を言葉で表現するとしたら、『無』という言葉が合っているかもしれません。 自転車に乗る時は、負荷をかけすぎると筋肉が固くなるので、基本的にはスピードを求めずゆっくり走ります。休憩もあまりしません。友人たちに、富山県から愛知県まで自転車で行った時の話をすると、大変だったのでは?と聞かれることがありますが、痛みや喜び、悲しみなどの感情はあまりないのです。 人には感情があるので、嫌な事や、辛いと感じることもあります。でも、心の迷いがなくなった状態に自分を置くと、感情に流されることがありません。私にとって、自転車とは、自分自身を『無の境地』にしてくれるツールのように感じます。ロードバイクに乗り始めて、仕事やプライベートを含め、周りを見ることができるようになったと思います。心を成長させてくれたように思います。 “想定外”も受け入れて 自転車で遠出したコースの、特に思い出に残っているのは、先ほどにも述べましたが愛知県と長野県へ行った時のことです。 富山から国道41号線を南下し、岐阜県飛騨市の数河高原(標高約1,000m)を超えて名古屋市まで走った時は、宿泊先に到着したときにはさすがに息も絶え絶えで、汚い話で恐縮ですが、鼻水やよだれまみれで言葉も発することが出来ず、携帯電話の画面をフロントに見せて対応してもらったほどです。 また、4月に長野県松本市へ行こうと、富山から岐阜県神岡町を経て安房峠に向かったところ、積雪の為、国道158号線が通行止めとなっていて足止めに遭いました。でも、そんなトラブルのお蔭で、『平湯温泉』という素敵な場所を知ることができ、温泉を満喫して帰宅しました。自転車にのっていると、わりと、想定外の出来事も受け入れて、楽しめるのです。 『無』の境地で20時間くらい走っていると、幸せを感じるご褒美がやってきます。長い時間一人で走っているため、無性に人恋しくなってきます。そうこうしているうちに人に出会うとうれしくて、本当に幸せだと感じるのです。人との関わりの中で生きていることを、身を持って感じることができます。 “遊び”で学んだ生きる力 私の両親はブラジル移民で、移住してからは赤貧の中で、同じ日本人や、ドイツ、イタリア、オランダからの開拓の仲間と力を合わせてジャングルを開拓し、私達兄弟12人を育ててくれました、私は下から2番目で、甘やかしなのか、放任なのかはわかりませんが、両親に怒られた記憶がありません。そのため私は、家を出て独り立ちしようと決意するまで散々遊んできました(お勧めはできませんが)。でもそのおかげで、生きる力、仲間の大切さを、遊びから学んだと思っています。遊ぶ中で心が鍛えられ、知恵が生まれ、自由を感じることができると思います。 私にとっての自転車は、遊びであると同時に、周りの人たちに感謝の気持ちを思い起こさせてくれるきっかけでもあります。 これからも自転車を通じて、素敵な出会いがありますように…。
見附島(石川県珠洲市)