子育てを終えて
営業部製品発送課 最年少監督(60代・男性)
我が家は、スポーツ一家。 私は野球。妻はソフトボール。長男は野球と剣道。次男はサッカーと水泳と野球をしてきました。 小さい頃からスポーツを楽しみ慣れ親しんできた私も還暦を迎え、昔ほど身体は動かないなと感じつつ、玄関先にはゴルフクラブやバットが置いてあり、時々スイング練習をしています。 教えたのは“継続すること” 私は、商船高専で、1〜3年の間は高校野球を、4〜5年の間は大学野球をしてきました。高校3年時は県大会3回戦まで行き、5年生の時は、高校チームの監督を務め、最年少の学生監督としてメディアに取り上げられたこともあります。4年生の時は、大学の北陸2部リーグで優勝することもできました。 長男は、両立していた野球と剣道から、中学入学と同時に剣道を選び、中学時代には全国大会のキップを手にしています。竹刀を握ったこともない親でアドバイスなんかもできませんでしたが、精一杯やり遂げる姿を見守ってきました。 次男は、生まれた時から体格に恵まれており、サッカーや水泳などいろいろなことをやってきました。サッカーを辞めた後、小学4年になって急に野球をやりたいと言い始めましたが、簡単に入ると辞める可能性もあるので、水泳を1級までとったら野球をしてもいいという条件を出しました。中途半端に辞めると言って欲しくないからです。それから約1年後の4年生の秋に、野球人生をスタートさせました。ピッチャーとして肩を酷使しすぎたのか、小学生時代に肘を痛め、高校入学前に肘、大学入学前に肩の手術をするなど、順風満帆な野球人生とは言えないかもしれません。息子にとって、辛い時期もあったかもしれませんが、本当に楽しい思いをさせてもらいました。高校2年の春にベンチ入り。秋の県大会では優勝し北信越大会でも優勝。各地区で優勝したチームが集まって行われた神宮大会への出場。そして春のセンバツ甲子園大会出場。かの有名なメジャーリーガー田中将大投手や現在活躍中の多くのプロ野球選手とも対戦し、同じ時を過ごしています。甲子園という舞台に行けるか行けないかという大きなプレッシャーに、息子本人はもちろん母親もきっと神経をすり減らしていたと思います。なので、やり切った息子たちと、それを支えた妻には大変感謝しており、尊敬もしています。
子供たちには、一つだけ伝えてきたことがあります。それは、途中でやめるなということです。簡単に手に入るものは手放すことも簡単にしてしまう。あきらめずにやり遂げることで手にしたものは、フィールドが変わっても力になると思います。 だからか分かりませんが、息子たちは、県外へ飛び立ち、いろいろな経験を積んでいる様です。 息子たちとスポーツを通して共に過ごすという時間は終わり、今は妻と見るスポーツへ。そして、県外に住む息子と年に一度ゴルフ場へ行くことを楽しみにしています。 これからも、スポーツを楽しんでいきたいなと思っています。