8月18日「高校野球の日」
管理部管理課 ハンドルネーム 「愛」と「正義」の二つ星 (40代・男性)
1915年8月18日、大阪の豊中球場で第1回全国中等学校優勝野球大会が開会されたことから、8月18日は「高校野球の日」なのだそうです。この「高校野球の日」にちなんで、私の高校時代の思い出を紹介しようと思います。 高校1年生の夏、私の母校(朝乃山関の出身校でもあります!)の野球部がめでたく甲子園行きを決めました。といっても、私が野球部だったわけではありません。当時の私は卓球部でした。本来なら全校生徒で応援に行くべきだったのですが、ちょうどそのとき卓球部の先輩たちがインターハイに行っており、留守番組の私たちは、次年以降のインターハイを夢見て学校で自主練に励んでいました。後から思えば、甲子園に行こうと思えば行けたのかもしれません。でも、私は甲子園には行きませんでした。 甲子園での試合当日。私はその日も部活の自主練に励んでいました。練習後は部活のみんなで太閤山ランドのプールで泳いで少し息抜き。その後、有志が集まってテレビで母校の甲子園の様子を見守ることにしました。しかし結果は、残念ながら1回戦で敗退となりました。
「行かなくてよかったかも」でも…。
後日、甲子園に応援に行った同級生に「甲子園、どうやった?」と聞いてみました。すると、 「バスで前日の夜から出発しなければならなかった」 「朝は早いし、暑いし、負けるし」 「行きも帰りもバスの往復で、疲れたわ」 と、感想は散々なものでした。「行かなくてよかったかも」そう思いました。 しかし、翌年もその次の年も、残念ながら私の母校は甲子園に行くことはできませんでした。ということは、応援できるチャンスは、高校1年生のその年だけだったということです。バスでの移動、球場の暑さ、負けた時の悔しさ…。確かに散々で疲れたことでしょう。でも、その雰囲気はその場にいないと味わうことはできません。行っておけばよかったな、と思いましたがもはや後の祭りでした。 今年は新型コロナウイルスの影響で残念ながら春のセンバツと夏の甲子園が続けて中止になってしまいました。7月から8月にかけての県独自の大会が始まっていますが、3年生にとっては、頑張って目標にしてきた全国への夢が途絶えてしまう形になり、その落ち込みは計り知れないと思います。しかし、これも「なかなかできない経験」としてバネにして、「そういえばこんなこともあったね」と笑えるような特別な思い出にできるように、この先の糧にして頑張ってほしいと思います。