12月2日「原子炉の日」
製品加工部 ハンドルネーム スマートなナイスシニア(60代・男性)
かつて私は建設会社に勤務しており、福井県の敦賀半島のほぼ先端に位置する高速増殖炉「もんじゅ」の建設に従事していたことがありました。今回、12月2日の「原子炉の日」にちなんで、その当時の思い出をご紹介しようと思います。 昭和62年10月1日、本社に赴任した私は挨拶回りもそこそこに2日後にはもう福井で現場に着任したのを今でも鮮明に覚えています。担当した建設工事は原子炉付帯設備の一端でしたが、それでも地上と地下の高低差や、壁・床の厚みなど、一般的な建築物とは到底比べ物にならないくらいの巨大な規模でした。鉄筋について言えば、サイズは全てD38の太物、長さも12mのかなり長いものを基本的に使用しており、私が経験した建設工事の中でこれを超える鉄筋工事はありませんでした。そして、一部ですが、D51という超太物サイズの鉄筋に出会ったのもこの現場が初めてでした。 この現場では、フランスの高速増殖炉フェニックスの建設チームをはじめ、海外各国からの見学者との建設技術交流もありました。また、国際原子力機関(IAEA)からの査察があったことも、懐かしい思い出です。
夏は週休4日制?!
私は主に、安全作業管理と品質保証体制の中、検査および次工程の他社引渡書類の作成と、立会説明に明け暮れた日々でした。7月に行った夏の安全週間での安全大会の際は、サイト内の全作業員(約3,500人以上!)が集まり、人だらけで準備係の私はとても大変だったのを覚えています。7月・8月は現場周辺は海水浴客で大変混雑し、普段20分くらいの通勤時間が渋滞のために3時間半もかかることもありました。このため、金曜日から月曜日までは休みとなり、なんと仕事は火曜日から木曜日までの週3日という夢のような生活を楽しく暮らしたこともありました。 当時の職場の仲間とは29年経った今でも年に1回は東京で集合し、交流を温めています。