今年のあなたは”何”の秋? ふと気付くと秋の風景に
製品発送課 ハンドルネーム 散居村
お盆に、庭先で子供達と花火をしていると「スイチョン、スイチョン」とウマオイの鳴き声がしました。子供達は気が付いた様子はありませんでしたが、私にはそれがすごく懐かしい響きに聞こえたのでした。日中はまだ暑さで気が付きませんでしたが、夜の家のまわりは、すでに秋の気配になっていました。
わたしの家は砺波市の西のはずれにあたり、小矢部市との境近く、代表的な「散居村」の地域です。私の家も「カイニョウ(屋敷林)」で囲まれ、田植え前の、田に水が張られる頃には、一帯の家々が水に浮かんでいるかのような景色が広がります。 この「散居村」のルーツは、地元にもいくつかの説が言われていますが、「家が集まっていると、田が広々と見え、石高が多そうに見えるので家を散らせて田を広く見せないようにする、加賀藩の政策だった」という説やら、「雷の通り道で、落雷で出火すると数軒も延焼したため、家を離して建てるようになった」という説など、いろいろあるようです。 「雷説」には私も体験上心当たりがあって、小学校5年生の時の帰り際のホームルームの時間に、何気なく見ていた窓の外の電柱に、突然雷が落ちたり、近所の道路の側溝に落雷があって、側溝が割れ散ったりしたことがありました。雷の多い地域なのは間違いなさそうです。 家族・親戚総出で行なった稲刈り お盆を過ぎると、8月20日は村祭りの日。毎年この日になると、お宮さんからは「麦や節」が流れてきます。これを聞くと、祭りが始まる楽しさと、夏休みも終わりに近づいて秋が近づいてきた心寂しさを、こども心に感じたものです。そしてこの後の稲刈りの季節のまえぶれでもあるのでした。
「実りの秋」という言葉通り、子供のころの稲刈りは家の者はもちろん、親戚も総出でにぎやかに行なったものです。子供の私も稲刈りから脱穀までの手伝いが当たり前の時期で、日曜日毎に米の袋詰めなどの手伝いをさせられました。稲刈りが終わった田んぼは私達子供の絶好の遊び場で、近所の同じような子供達と時間を忘れて夜遅くなるまで自作の模型飛行機を飛ばしたり、泥んこになるまで野球をしたものです。
「豊かな自然」とあえて言う必要がない、当たり前の環境でしたが、気が付くといつの間にか子供たちの周りから少しずつ、それが減っていっていることに気が付きます。 今では稲刈りから乾燥、脱穀までは一人でできるくらい機械化 が進んでしまい、子供達が手伝う事もほとんどなくなり、田んぼで遊ぶ子供達もほとんどいなくなりました。自分たちの子供時代と比べて「豊かであるが故の貧しさ」との思いが心をよぎります。子供達が大人になった時に、幼い頃の思い出として、どのような風景を思い描くのだろうか、とふと考えてしまいました。