50代で音楽と再会
株式会社清水工務店 工事部長 増田 忍
わが社は、大谷製鉄さんの建屋や設備の協力会社として、私だけでなくわが社の社員共々、日々大谷社員の皆さんと共に仕事をしています。大谷製鉄社内の「音楽サークル」にも会員として参加しています。 二年前からギターを習いだし、ちょうどタイミング良く、一昨年の11月から「OTANI ふれ逢いステーション」がスタートし、私も協力スタッフとして参加し、またサークル活動をする中で、いまさらながら自分は「音楽が好きだったんだ!」と気づき、毎日を音楽と共に楽しく過ごしています。 思い起こせば私と音楽とのかかわりは古く、また、挫折と失望の連続だったように思います。 子どもの頃はラジオや蓄音機から流れる音にあわせて、踊ったり歌ったり、大人たちの前で披露して得意になっていました。その頃、ウィーン少年合唱団の映画が人気で、出演者の子が私と似ていたらしく(誰?笑っているのは?)、小学校のクラスで一時人気者になり、得意のボーイソプラノに磨きをかけていました。しかし変声期に入り、まったく声が出なくなり、それ以来、歌うことが嫌いになってしまいました。たまにカラオケで歌うことがありますが、皆さんには大変ご迷惑をおかけしています。 音楽二足のわらじに加えて登山も 中学生になり、体操部に入ったのですが、夏休みの終わりごろ、担任の音楽の先生から「ブラスバンドに入らないか?」と勧誘を受け、通信簿の点数を「5」にしてもらうことを条件に(多分ウソ?)入部することになりました。担当させられた楽器は「ユーフォニューム」で、ホルンとバスの間の音域を担当する地味なポジションでした。でも唄を歌えない分、自由にメロディーを奏でるこの楽器に夢中になり、夜遅くまで他人の迷惑も顧みず、練習したものです。 少し吹けるようになると、単音楽器に飽き足らず、和音を出せるギターにひかれ、クラシックギターを始めました。本当はピアノを弾きたかったのですが、当時、親にはとても言い出す勇気はありません。 高校に進学するとブラスバンドではユーフォニュームからトロンボーンへ、ギターはクラシックからフォークへ変わりましたが、相変わらず二足のわらじの音楽生活に加え、登山が加わり、勉強もせず「多忙な」高校生活を過ごすこととなりました。3年たって気が付けば入学時はそこそこ上位だった成績も、「底値安定」になり、進学をあきらめ今の会社に入社しました。 正月には新しいギター買い込み 社会人になって残った趣味は登山だけで、トロンボーンは手放し、ギターは行きつけの飲み屋さんで唄の伴奏をしたりしていたのですが(当事はまだカラオケはないので)、いつの間にか押入れにしまいこんだままになってしまいました。 20代後半からは仕事に追われゆっくり音楽を鑑賞する事もなくなり、若い頃に聴いていた音楽を思い出す事も出来なくなっていました。 山菜採り程度に楽しんでいた山登りも、膝の故障で出来なくなり、体力の衰えを痛感しさびしい思いをしていたとき、仕事で付き合いのある人がギターを習っていると聞き、 「ギターくらいなら」と安易な気持ちで押入れから楽器を引っ張り出してみたものの、30年のブランクは大きく、手の動きはもちろん、楽譜の読み方もすっかり忘れています。 やむなく私もギター教室に通いだし、教えてもらううちに少しずつ指の動きや楽譜の意味を思い出してきました。今年のお正月にはクラシックギターを買い込み練習をしています。 ギターとの再会から2年経った今、ギター教室や音楽サークルでの練習が楽しく、また若い人たちと話す事で、大きなエネルギーをもらっています。これからも練習に励み、今年で3度目になる自主ミニライブでは、美しい歌声…、じゃなくて、美しい音色をご披露したいと思っています。