エッセイ/合唱コンクール
技術課 ハンドルネーム ウッシーランド
合唱コンクールというものがあります。大学に入るまでは全く興味のないものでした。 入学して縁あって合唱団に入りました。半年後に「関西合唱コンクール」に出場しましたが、関西代表になることはできませんでした。そのとき、わたしは泣いて悔しがる先輩たちを見て、何か不思議な気持ちになりました。スポーツでは相手に負けて涙するシーンを見たことはありますが、「合唱で?」という気持ちだったのです。自分たちの音楽を披露できたのだからそれでよいのではないかと思ったのです。 二回生になり次のコンクールを目指すことになります。二回生になると、私は役員となり、渉外という役職に就いていました。目標は全国大会に出場するということで、みんなの意識も変わり日々練習に取り組みました。結果、僅差で代表にはなれませんでした。そのあとの打ち上げでも、みんながほとんどしゃべらず、下を向いて泣いている人もいました。みんなで一体となってつくりあげた音楽に違いはないはずですが、勝者と敗者が生まれてしまうのが合唱コンクールなのです。
そして私は三回生になり、執行回生として団を引っ張る立場になりました。コンクールに出るかどうかで話し合いが行われました。コンクールに負けて団の雰囲気が悪くなったと感じて、コンクールの意義に疑問を感じる人もいるのです。たしかに、いい音楽をつくることがイコール「コンクール出場」ではありません。しかし、それでも私は結果を出したいと思いました。 「目標」がみんなを一つに 具体的な目標を掲げることで、みんなの力を一つにすることができるのだと思います。一つの目標に向かって仲間と過ごす日々はかけがいのない時間であったと思います。その年、私たちは関西コンクールを一位で通過し、全国大会で一位金賞を獲得しました。そのとき、私の目にも涙があったのを覚えています。不幸な出来事も多いこの時代に、仲間と歌を歌えることの幸せと感謝の気持ちでいっぱいでした。そして四回生の年にも、全国大会は昨年度の成績が認められシード合唱団となり、二年連続で全国一位になることができました。私は80人の合唱団の80分の1にすぎませんでしたが、私を含め一人ひとりの強い気持ちがなければこのような結果はなかったと思っています。 これは、すべての音楽に共通していることだと思いますが、歌を歌うことに順番をつけるというのは、何かおかしい気がします。そういう意味では、本来はただ集まって気持ちをこめた歌を歌えばそれでいいのかもしれません。しかし、コンクールでは優劣がつけられ、その舞台がよりいいものを作り上げるのかもしれません。一人では諦めてしまうことも、同じ目標をもった仲間が集まることでやれることがあると思います。どんなに努力をしても結果がでないことはありますが、努力をしないで結果がでることはきっとないのでしょう。私にいろいろなことを教えてくれた合唱コンクールでした。