モータースポーツ
社会人になってすぐ購入した10年ものの白のスカイライン。11年目以降は毎年車検を受けなければならなかったこともあって、20歳で自動車の趣味はいったん区切りをつけることにしました。次は、自動二輪に乗っていた友人の影響を受けて、自分も中型自動二輪免許を取得することに。
ショップのクラブに入会 同じ職場にスキーと二輪が好きな先輩がおられ、平日はその先輩と二人で走り、日曜日は友人と能登半島や国道41号線や国道156号線を走り回っていました。ある日その友人から、「よく行くオートバイショップでツーリングクラブが出来る事になったのですが入りますか?」と誘われ、クラブに入会することにしました。それまでは、多い時でも2〜3人と少人数で走っていたのですが、走る車も十数台と大所帯になりました。メンバーの中には、ピカピカに磨いた大型自動二輪で綺麗に走る人や、前を走っていたと思ったらいつの間にか安全に速くずっと先に行ってしまっている人など、いろんな人との出会いがありました。走り方など参考にしたいところをいろいろ吸収し、よく真似ていました。
オートバイブームの真っただ中だった80年代当時、ホンダのオートバイクラブ、バートの主催で、年間5回のスクーターレースが開催されていました。そのレースのランキング上位3チームは全国大会の鈴鹿サーキットでレースに出ることができました。私も富山県で上位3チームに入りましたが、鈴鹿の本選では残念ながら思うような成績を残すことはできませんでした。
スズキ自動車主催で、浜松にあるテストコースを走れると聞き、参加したこともありました。バスで静岡県にある竜洋テストコースに赴くと、スズキのオートバイが数台準備されていました。「好きな車輪に乗って下さい」という事で、1100ccに乗せてもらい、時速240kmのスピードを体験させてもらいました。この時のスズキの乗り心地が忘れられず、平均14、5回はかかる大型自動二輪免許、限定解除を努力の末に7回で取得し、87年式のスズキのオートバイを購入しました。このバイクと共に、一人で箱根・富士山まで行ったり、職場の先輩と瀬戸大橋に走りに行く事もありました。姫路城・瀬戸大橋・高知・鳴門大橋と四国をまわり、明石フェリーにも乗りながら、2泊3日のツーリングに行ったことを思い出します。長距離のこの旅は本当に疲れましたが、今ではいい思い出です。
その後は、職場の後輩、他の職場の同僚二人と計四人で月に一度のペースでツーリングを楽しみました。 <ページ先頭へ> |