2/15「全日本スキー連盟設立の日」
営業部製品発送課 ハンドルネーム 昔はスキーヤー(50代・男性)
高校時代、部活はせずに、春・夏・冬休みはいつも同じところでアルバイトをしていました。冬のバイトの時、作業が半日くらいで終わる日が一週間に三日ほどあったのですが、バイト先の先輩が「スキー行くか」と誘ってくれ、スキーには自分も興味があったので喜んで行きました。 滑り出したのは同時だったはずなのに、先輩は自分よりはるかに上手。「とにかくついて来い」と言われて必死について行ったのを覚えています。自分が途中で転んで身動きが取れなくなってしまっている時にも、近くまで助けに来てくれて「“何回こけても、笑われてもいい、いつか見ていろ俺だって!”という気持ちで滑れば上手くなるから」と言われ、その気持ちを持ちながら滑るようになりました。 高校を卒業後に働き出し、その時に流行っていたロシニョールのスキー板、靴と一式揃え、どんどんスキーにはまっていきました。 飲み屋さんで知り合った先輩方や同級生などと昼間滑り終えた後、改めて牛岳のナイターに滑りに行ったり、一シーズンに一回は二泊三日くらいで赤倉や白馬、岩岳など県外のスキー場に行っていたのを思い出します。1987年に「私をスキーに連れてって」の映画が公開され、さらにスキー好きに拍車がかかり、ゲレンデに行く回数が増えたと思います。
ゲレンデが呼んでいる
その後、スキー仲間の結婚を期に、行く回数が減り機会もなくなり、全く行かないようになったのが二十代後半から三十代後半の約十年くらいだったと思います。靴以外の道具を処分してスッキリさせましたが、その後、子どもの同級生の親御さんたちと一緒に「スキーに行こう!」という話が持ち上がり、いざ十年ぶりの再デビュー。靴とウエアはあったので、スキー場で板とストックを借りて滑り始めました。“身体は覚えている”というのは本当の事。それなりに滑れたのを思い出します。機会があったらまたスキー場に行ってみたいな、と、冬になると思います。