勤労感謝の日に思うこと
圧延課 ハンドルネーム 父乃背中
11月23日は「勤労感謝の日」ということで、あらためて「仕事」というものを考えてみました。 私の家は、父が長年、三交替制勤務の会社に勤めていました。定年年齢をすでに迎えましたが、継続して務めさせていただき、それからは交替制勤務はなく、毎日、夜になると父が家にいることが普通になりました。
子供の頃には、昼勤務の一般家庭の子供たちと、学校や家での付き合いで、特に父の交替勤務に違和感を感じたことはありませんでした。というのも、学校から帰宅してから、釣りが好きだった父と一緒に釣りに出かけたり、休みの日に富山市に出かけて、買い物をしたり、大和百貨店の食堂でご飯を食べたりという、普通の思い出があるからです。
いま、私はこの会社で、二交替制勤務で、圧延の仕事に携わっています。交替制の仕事をしてみて、子供の頃の思い出を思い返してみると、父がいかに家の事、子供のことに心を配ってくれていたかが、とてもよくわかります。 夜勤明けに身体を休めたい、自分だけのペースで過ごしたい。そうした状況で時間をやりくりしながら、子供の相手をしたり、家の用事をしたり、というのが普通にできる「偉大さ」を、感じさせられています。 「君のお父さんは堅物やなあ〜」 父が一応定年を迎えた際に、会社の皆さんが父のために一席設けてくださり、終わった後、その流れで我が家に寄っていただきました。談笑が進む中で「○○君、君のお父さんは、本当に堅物やなあ〜。仕事の鬼やで。」という言葉がありました。そういわれてみると、残業や職場のグチというのを聞いたことがありませんし、急に会社から連絡があって「ちょっと会社に行ってくるから」という時も、「普通の出来事」のように出かけていきました。仕事に対するやりがいや責任感というものは当たり前で、特別なことに感じない人柄だったように思います。 今、会社で諸先輩方と一緒に仕事をさせていただいて、いろいろなアドバイスを聞きますが、心に残っているのは「人に後ろ指をさされるような仕事をするな」という言葉です。この言葉は、父の背中を見て育った私の心には、まったく違和感なく、スッと理解できる言葉でした。そして、仕事への向き合い方、服装、態度などいつも自分を客観的に見ている自分を創るようにしています。 仕事をしていて、悩みのない時はありませんし、スタッフとラインのジョイント部分である「職長」というポジションのむずかしさは、いつも感じています。しかし「悩み」や「困難」と言っても「仕事」というものはそういうものだ、とも思っています。 「あんたに言われたくないよ」 ある日、父から「お前は、仕事人間やなあ〜」といわれて、「あんたには言われたくないよ」と思いながら、そうした父の一面を引き継いでいるかもしれないことに、ちょっとうれしく思いながら、同時に、まだまだ父にはかなわない自分を感じています。