寒い2月の温(ぬく)いお話
総務課 ハンドルネーム じいちゃん子
昨年の11月、祖父が天国へ旅立ちました。(いきなり暗くてスミマセン)ほんの1,2年前までは元気だった祖父ですが、認知症と骨折が重なり、それ以来施設での生活になりました。わたしは俗に言う「じいちゃん子」で、小さな頃祖父に遊んでもらった思い出や、写真が弟の倍はあります。それだけに祖父との別れは辛いものがありました。 祖父が施設暮らしになってから、たびたび祖父に会いに施設へ行くようになりましたが、そこには祖父と同じく認知症を患った方が多くいらっしゃいました。私と同い年くらいの看護師さんや患者さんに、いつもどおり挨拶をし、祖父の部屋に向かいます。施設に入ったばかりの頃は認知症も軽く、私の顔を見ると満面の笑みで「来てくれたんかぁ〜」と言って迎えてくれました。 しかし祖父の頭の中では私はまだ学生らしく、いつも「学校行ってきたがか?」「じいちゃん、私はもう社会人よ」と言う会話がお決まりでした。 この頃はまだ認知症の進行の知識があまりなかったので、そんな会話をするのも楽しかったのですが、だんだん会話がかみ合わなくなり、とうとう私の事も忘れてしまうようになりました。 うれしい奇跡が 「私だよ〜。わかる?」と聞くとしばらく考え込み、分からないと首を横に振るようになりました。それ以来祖父は家族の顔も分からなくなり、ほとんど会話もできなくなってしまったのですが、祖父が旅立つ少し前に、嬉しい奇跡が起こりました。 祖父は昔からワーゲンの車に乗っていたのですが(よく田んぼに突っ込んでいたので傷だらけでしたが…)会話のできない祖父に「昔ワーゲンの車に乗ってたよね〜」となにげなく話し掛けてみると、またしばらく考え込み、ハタと手を叩いて「お〜そうだそうだ」と、とても小さな声で答えてくれました。思い出したのかな!?と思い、すかさず「私はだれ?」と聞くと、またまたしばらく考え、目を見開いて私の名前を呼んでくれました。これが祖父との最後の会話になったのですが、病気になっても祖父の中に家族が居てくれたことは本当に嬉しい事でした。 毎日の暮らしの中にも、家族、友達など、大切な人とのなにげない会話や思い出があるということはとても幸せなことだと思いました。