コレに注目!
業務部営業課 ハンドルネーム 飲めない大虎
これまで流通の分野で「鉄」にかかわってきて、今年の1月からは当、大谷製鉄で製鉄メーカーという立場で関わることとなった。鉄業界もいつの間にか約40年を数える。 日本の鉄の歴史は、北九州市の八幡から始まっている。明治34年(1901)、当時八幡村という海辺の寒村に、西洋式の官営八幡製鉄所が誕生した。今年で106年になる。この地が選ばれたのは、産炭地に近いという理由であった。 以来「鉄」は、明治の後半から戦前にかけて日本近代化の黎明期を支えてきた。富国強兵策に後押しされ、欧米の先進国に追いつき追い越せと、まさに国策そのものであったと言える。 そして戦後は、高度経済成長を産業の米として支え続けてきた。 大正期からは民間の製鉄メーカーも続々と現れた。 大谷製鉄の前進である大谷重工業もそのうちの一社で、創業は大正の前期である。 一般庶民の生活実感で「鉄」といえば、釘や、鉄道のレール、井戸水を汲み上げるための鉄管などが思い浮かべられるが、八幡製鉄所で最初に量産されたのも、小棒とレールであった。 最近では住宅・家電製品・車など、身近なところで鉄とふれ逢う機会は多い。 自分が関わった物件に愛着 鉄の業界では、流通にたずさわる人たちを、愛着と誇りを込めて「鉄屋」と呼ぶ。それに対して、鉄鋼メーカーに身を置く人たちを「鉄鋼人(マン)」と呼ぶ。いずれも「産業の米の守り手」を自認し、鉄に対して無関心でいられない人たちだ。 わたしも、長く流通業界で鉄に関わってきたせいか、普段目に入る「鉄」が、なんとなく気になるものだ。あるときから、自宅近くを通っている富山地鉄上滝線のレールが、やたら気になって仕方がない。電車が通過した直後に、電車がしばらく来ないことをたしかめて、レールを確認してみた。1968年、富士製鉄で製造された40N(40kg/mの重さの生レール、すなわち焼入れしていない鉄)であることがわかった。それがわかったからどうなんだ、と言われればそれまでなのだが、気になって仕方がないのだ。 自分が関わった物件では海王丸停泊地の鋼矢板や、現在工事進行中の新湊大橋のエポキシ鉄筋などがある。通勤路から見えるので、毎日進み具合を見ているが、少しでも自分が関わったと思うと、ちょっぴり嬉しい。 頼まれれば断らない!? 鉄鋼人気質と言うものは、異業種の人たちから見ると意外に思われるかも知れないが、自分達の技術を隠そうという気持ちが希薄のようだ。昔の刀鍛冶などは、焼入れの水の温度は秘伝にするため、弟子にも水に手を入れさせなかった、ということも聞くが、他社の会社見学などは、結構普通に受け入れられている。わが大谷製鉄も例外ではない。 韓国や中国に技術協力して、世界に冠たる製鉄所を建設したのも、「頼まれれば断ることをしない」鉄鋼人気質なのかも知れない。同じ土俵で正々堂々、正しい競争をしましょう、というのが業界の常であるようだ。 最近嬉しいのは、業界が元気を取り戻してきたことだ。 高炉メーカーは、炉の内側のレンガの取替え(巻き替え)時を利用して、各社とも大容積化の工事等を進めている。また電炉メーカーもわが社のようにダイレクト圧延(製鋼・圧延直結)化工事を進めている。こうした流れを見ても、業界は見事に復権してきたと思うこのごろである。今後は市況重視の秩序ある生産と販売が継続されることを願っています。
(『朝日新聞』「ひと」欄より)