安土城のうたかた
技術課 ハンドルネーム 今昔探訪
私は戦国時代が大好きです。本やテレビで知識を深めるだけでなく、戦国時代と縁のある場所を訪れることもよくあります。多々ある史跡・古跡のなかでも、戦国史上もっとも有名な武将、織田信長によって築城された安土城の跡地を訪れたときのことは、強く心に残っています。 安土城は1579年に築城し、そのわずか3年後の1581年に焼失してしまった城です。現在の滋賀県安土町、琵琶湖のすぐ南岸にありました。安土は信長が当時本拠地としていた岐阜よりも京に近く、また北陸からの上洛ルートにあるため、上杉謙信の上洛を阻止するためこの地が選ばれたとも言われています。 信長は安土城を、それまでの城とはまったく違う考え方で築城しています。戦国時代において、城といえば要塞を意味していました。しかし安土城は、要塞というよりもむしろ政治的象徴としての意味合いが強かったようです。あまりに派手な外観は見る者を圧倒し、経済的な豊かさを誇示するのにも役立ったそうです。 原寸復元の安土城に圧倒 私が安土城を訪ねたその日は、残念ながら天気がよくありませんでした。天気の回復を待つあいだ安土城関連の博物館=「安土城天守・信長の館」など回ったのですが、すごい!の一言に尽きます。5・6階分が原寸で復元された安土城を見たのですが、八角形の形をし、朱と黒と金で塗られた天守は本当にすごいものでした。時代劇などでイメージする城とはあまりにかけ離れているのです。信長は生前、赤い色を好んだと言いますが、安土城からはその美意識が強く感じられました。 復元に圧倒された私は、天気の回復を待ちきれず、城跡へ向かいました。霧雨が降るなか訪れてみれば、あの華麗な城が建っていたという場所は、普通の森でした。人気はなく、立っているものは木だけ。当時の安土の街は大変栄えていたとのことですが、その光景からは信じられませんでした。 なんとなくさびしい気持ちになりながら、城跡として残っていた石段を登ることにしました。しかしきつい!平城(ひらじろ)と聞いていたのですが、「これが?」と聞き返したくなるような傾斜です。当時の人は足腰が強かったんだな、と戦国時代に思いを馳せます。 そして、天守跡に辿り着きました。礎石のほかはなにもなく、思ったより狭い空間でした。当時の面影はただ整然と並ぶ礎石のみで、当時の華麗な様子の面影はそこにありませんでした。 しかし今から400年程前には織田信長がここにいたのです。礎石の間に落ちている瓦を拾い、本当にここに城があったんだということを実感しました。礎石の跡を見ているうちに、この場所のほうが、博物館で復元を見ているときよりも生々しく、400年前の姿を想像できると感じました。400年程前に信長がここにいたんだ、という感覚に私は満足し、また彼がこの城を建てた動機についてもっと知りたいという思いを強めながら、城跡を後にしたのです。