人生の友・音楽
圧延課 ハンドルネーム ナリタシ・イエペス
半世紀前の常願寺川上流といえば、今のように交通の便が良いわけでもなく、「山村」そのものであった。 父が常願寺川水系の発電所で、三交替制で勤務していたため、すぐ近くの会社の社宅に、両親と兄との4人で住んでいた。家の周りと言えば川と山ばかり。春はワラビやゼンマイなどの山菜採り、夏になれば川遊び。秋には山に入って柿や栗を採り、冬はスキーと、子どもたちの遊びには事欠かない、自然の宝庫だった。 中学に通うようになって、吹奏楽に出会って、その華やかさにあこがれ、入部した。トランペットを吹いていたが、この頃から音楽の楽しさを意識するようになっていった。 夏休みのある日、川へ泳ぎに行ったときに、川の浅瀬に何か引っ掛かっているものがある。そばによって見ると、ごく普通の、何の変哲もないギターだったが、その当時はギターというものが珍しく、実物を見るのが初めてだった。「誰が捨てのだろう。もったいないことをするな〜」 音楽にはすごく興味があったので、家に持って帰ってよく見直してみると、胴のところに、岩にぶつかった時にでも出来たのだろう、小さなヒビが入っていた。当然、弦も切れている。それでもギターの実物を始めて目にして、うれしくて仕方がない私は、接着剤や小さなクギを使って修理し、こづかいを工面して弦も買ってきた。指ではじいてみると、ポロンと音が出た。うれしかった。ギターの弾き方もチューニングの仕方も知らなかったが、時々弾いて、音が出ることが楽しかった。 タイミングよくスペイン帰りの先生が 学校を卒業して社会人になって、だんだん仕事にも慣れてくると、毎日の単調な生活に物足りなさを感じるようになった。そんなときにギターのことを思い出した。その年の秋に、今は亡き中田照二先生の「ギタルラ・デ・トヤマ」に入門し、三年くらいギターを習った。実のところ、クラシック・ギターはそれほど好きではなかったが、ギターのテクニックを身につけたい一心でまじめに練習に通った。この三年間は、ギターの勉強はもちろんだが、新しい友達もでき、人間関係が広がった。 そうした人たちの中に、フラメンコ・ギターを弾く人がいた。フラメンコ音楽がもつ、情熱的で激しいリズムに惹かれ、フラメンコ・ギターにのめりこんだ。 ちょうどそうした時期にタイミングを合わせるように、スペインでフラメンコを勉強して帰国した山崎信三先生と出会った。「ぜひに!」と頼み込み、先生が富山を離れるまでの2年間、教えてもらった。 ギターは一人で弾いても心が和むし、人前で弾いても楽しさを共有できる。音楽の力、と言うものかもしれない。人生のいろいろな局面で、音楽があり、ギターがあったように思う。 今、会社では「音楽サークル」があり、若い人たちと一緒に演奏しているが、これまで経験していない「コード弾き」ということにチャレンジしている。いくつになっても、新しいことへのチャレンジは、張り合いがあるものだ。