仲間と楽しむ山男人生
総務課守衛班 ハンドルネーム 無敵クライマー(60代前半)
私が20歳前半のころ、気の合う者6人で山岳クラブを結成した。7月下旬の梅雨明け後に、一泊二日の行程で、まずは立山登山を計画した。千寿ケ原まで電車で行き、八郎坂から登り始め、室堂で一泊。次の朝、雄山山頂で御来光を拝んだ時の感激は未だに忘れられない。これが私の、初の登山体験であった。この体験がきっかけとなり、その後毎年、何回も雄山や剱岳の登頂をした。 ある年、槍ヶ岳・穂高岳へ挑戦しようと仲間内で話がまとまった。そこで、登山用ユニフォームを新調し、テント2張に他の装備品、食料などを準備、また大好きな酒類も準備。 登山当日、有峰湖の折立峠まで車で送ってもらった。そして、登山口にあった愛知大学13人の遭難慰霊碑に手を合わせて、登山の無事故を祈り、いよいよ出発。 太郎兵衛平を越え、その日は雲の平で一泊。翌日向かった三俣蓮華岳は、富山、岐阜、長野の3県にまたがる山である。その頂上に立ち、両足・片手で「3県を押えた(治めた)」とふざけて騒いだものだった。 槍ヶ岳から上高地へ縦走 さて、これからが本番、尾根伝いに槍ヶ岳へ向かった。やせ尾根では、何十メートルの崖の上での交互通行、手と肩を取り合いながらの命懸けの進路交代を乗り越え、いよいよ本峰を目指す。ついに山頂まで登りつめ、鉄製の槍を握り順に記念写真を撮った。 もうそのころには疲れはピークに達し、明日目指す北穂岳を見上げながらテントを設営する。夕食は牛肉の味噌漬け、大好きなウォッカで明日の英気を養い、床につく。 翌日は日の出前に出発し、北穂岳、奥穂岳へアタック。山頂に立った時の気分は最高で、苦労も疲れも吹っ飛んだ。 上高地へ下る、河童橋を渡り大正池へ。当時は枯れ木の大木が乱立し、その枯木に木乗りをしてもビクともしなかったものだ。 チョッピリ減速、でも現役続行 30代の頃は、町内の子供達を集めて立山登山を呼びかけた。親子総勢80人ほどで行く町内の一大行事となり、私も3人の我が子を連れて頂上まで登ったものだ。 50代半ばを過ぎた頃から、体力的にも登山は無理と考え、妻と共に高原トレッキングやハイキングにシフトダウンしている。高山植物や山野草のお花畑を見て歩き、自然の雄大さ、空気を胸一杯に感じるというのも、またよいものだ。県内を始め高山や信州方面、遠くは北海道、利尻、礼文島まで足を運んでいるこの頃である。 今年の全国安全週間のポスターに使われている風景が黒四ダムであったので、久しぶりに行きたくなり、立山−黒四−大町−上高地の散策を悪友と計画中である。熟年夫婦何組が集うか今から楽しみだ。
大正池の風景(昭和39年)
大観峰から見下ろした黒四ダム(平成20年)