冬の至高の時間の過ごし方
製綱課 ハンドルネーム シング寝具神具(20代後半)
10月半ばのある日、私は寒さに震えて目を覚ました。さすがに毛布一枚で寝るのは厳しい季節になってきたので、掛け布団を用意した。 友人の言葉を思い出したのはそのときだ。「寝床は聖域である。一生の3分の1を過ごし、日々の疲れを癒す場所だからだ。」 私は、一瞬「また変なことを語り始めた」とは思ったが、思い直してみると、そのとおりと思える点もある。もっとも心が安らぎ、他人に侵されず自分だけの世界。 しかしそういう目で見直してみると、掛け布団のかかった、約1.5畳の私の寝床は、聖域というには程遠い有り様だ。枕はいびつで、中学生のときから使っている掛け布団は縫い目がほつれていた。このままではとても「聖域」という言葉はふさわしくない。第一、寒さをしのげそうにない。私は10年以上なじんだ寝具をあきらめ、新調すべく寝具店へと向かった。 布団って高いんですね。滅多に買わないものだから少しくらい高価なものを買おうという思惑は、「これがいいのでは」と思う品物を手に取って、値札を見るたびにもろくもくずれ、そのうち「国産ならばいいや」という安易な方向に軌道修正することになった。しかし妥協を重ねて買った枕と掛け布団は、以前と比べ物にならないくらい暖かく、寒さの厳しい日は正に「聖域」となるだろう、と思った。 枕もとの「神具」は不可欠 「聖域」には「神具」が必要だ。私の寝床の枕元には文庫本が並んでいる。本棚ではなく、枕元においてある本は、限られた場所に供えることを許された「神具」であり「寝具の一つ」だ。中でも、宮城谷昌光氏の本はどれも面白く、繰り返し読んでいる。好きな本を一つ挙げるなら「晏子」(あんし)。主人公の晏嬰(あんえい)は、王様に向かって諫言を続けた人。いわば上司に向かって間違いを指摘し、意見を主張し続けたわけだ。これはなかなかできることではない。人から恨まれず欠点を指摘することはとてもむつかしい。見て見ぬ振りをしていたほうが良いと思うときはないか?注意されると自分を正当化したくなる気持ちは少なからず、誰にでもある。その表情を表に出さず、心の奥に飲み込んで「よく教えてくれた、ありがとう」という言葉を交わせるような人間関係を私はこの「晏子」を読んで夢想した。 10月から宮城谷昌光氏の文庫版「三国志」が刊行された。「好きな本」という神具の置かれた快適な寝床、それが私の「聖域」だ。雪が降り積もる日も、暖かい寝床で寝返りをうちながら気持ちよく本を読みふける。この冬の理想郷だ。