特別企画
9月19日は敬老の日です。 今回は、社員の方お二人にご家庭のおじいさん、おばあさんとの思い出話や各々の自慢話をご紹介していただきます。
人間味あふれた祖父 総務部庶務課 ハンドルネーム バイタリ爺の孫(20代・男性) 私の祖父は昭和3年生まれで、18歳のとき海軍航空隊に志願し戦争を体験してきている。海軍航空隊での訓練中に、アメリカのグラマン戦闘機に上空から狙撃されたが、運良く命拾いしている強運の持ち主だ。よくテレビで当時の戦争の話が出てくると、狙撃された時の様子を話してくれる。 そんな祖父は、定年を迎えた頃に家から少しはなれた土地に祖父ひとりで作業小屋を建てたのである。その小屋には、自作の薪ストーブなども置いてある。 祖父の手作りの作業小屋(手前の2軒) 自分で作れるものはとことん自分で作る。それが祖父のモットーのようだ。たまに工具を借りにその小屋に行くのだが、よく一人で建てたものだと感心するほどだ。そういえば私が小さい頃の冬、学校の帰り道に友達と一緒に小屋に寄り、手袋を乾かしにいったりしていた。 手袋を乾かした薪ストーブ 祖父は現在83歳、最近は畑で野菜や果物などをたくさん作り、親戚や近所の方々に配ることで生きがいを感じている。聞けば、親戚の畑までも世話をしているようだ。私は生まれてから24年祖父と過ごしてきたが、すばらしいほどのお人よしな性格なのだと思う。これといった趣味はないけれど、人によろこばれることを生きがいにしているのではないかと私は思う。まさに「仁」の人だ。 年のせいなのか家の車庫に愛車である軽トラックをコツンとぶつけてしまう祖父だが、今日もその愛車に農器具を積んで畑へ行くようだ。いくつになっても活動的でバイタリティーにあふれ、そしてお人よしすぎるくらい優しい、実に人間味あふれる自慢の祖父が、元気で長生きしてくれることを願っている。
面倒見の良い祖母 業務部製品発送課 ハンドルネーム ばあちゃん子(30代・男性) 私の祖母は昔から私たち孫の世話を焼くのが好きだった。小学生の頃夏休みになると、共働きの両親に代わって祖母が近くの八重津浜(富山市)に海水浴に連れて行ってくれた。祖母は、兄と私が海で遊ぶ様子を優しく見てくれていたのを覚えている。あとは昼食の支度から何から何まで面倒をみてくれた。 世話好きの性格は今も変わらない。私が夜遅く仕事から帰ってご飯を食べていると、わざわざ起きてきて一声かけてくれる。ちょっとした物音や隙間から漏れる電気の明かりで帰ったのがわかるのだろう。「ちゃんと食べとる?」「早く寝られ」など一声かけると満足したように自分の部屋に戻っていく。私ももう子供ではないのだが…。心のうちではそう思っていても、面と向かって「子供じゃないし、おせっかいは辞めて」なんて言えるはずもなく。きっと祖母にとって私はいつまでも「孫」で、ずっと世話を焼く対象なのだろう。 社会人になった翌年のお正月に、自分の働いたお金を包み、孫から祖母へのお年玉として渡した。今までの感謝の思いと一人前になったということを伝えたかったのだ。少し恥ずかしい気もしたので、直接ではなく私の親に頼んで渡してもらった。親の話では、祖母は喜んでくれていたようだ。 祖母は今年で86歳、これからは私も祖母を気遣っていこうと思う。まだまだ元気でいてほしい。