あれから20年
製造部製鋼課 ハンドルネーム とやまにあ(30代・男性)
私は大学入学を機に富山に来た。あれから20年ほど経つのだから、地元よりも富山で暮らしている期間のほうが長いことになる。だから今は、富山での生活に慣れてこれが当たり前になってしまったけれど、富山に来たばかりのときは環境や習慣の違いに驚いた。 切符はどこで買う? 富山に来たばかりの学生の頃はJRを使うことが多かった。とくにアルバイトに行くときには必ずJR(当時の富山港線、現在はライトレール※が通っている)に乗った。初めてのアルバイトから帰るとき、最寄りの駅へ向かうと、駅員さんがいない!券売機らしき機械もない!という状況に唖然としてしまった。どうすればよいのかわからなかったが、周りの人を真似て切符を持たないまま電車に乗り込んだ。乗客たちは車内で切符を購入しているではないか!「無人駅」という名称を後で教えてもらい、駅員さん不在の駅の存在、車内で切符を購入するシステムがあることを初めて知った。 そして、線路が単線なのにも驚いた。「電車がぶつかるんじゃないか」という不安に駆られたが、ダイヤが上手いこと組まれており、全ての車両が1本の線路を往来していた。 かまぼこ“一匹”をたいらげる? 私の中でかまぼこといえば、板付きで白色の生地にピンクの縁取りがしてあるものが当たり前だと思っていた。けれど富山でかまぼこといえば、赤まきが一般的だった。また、結婚式などでは鯛の形をしたかまぼこをもらうことがあった。あの大きな鯛は切り分けて近所に配るのが礼儀なのだそうだが、私は知らなかったから、いただいたものを全部一人で食べた。当時は一人暮らしだったので大事な食料になった。 その他に私はラーメンが好きだが、富山のブラックラーメンは衝撃的だった。濃くてしょっぱいが、本当にくせになる味だと思った。 こんな具合に、富山に来たばかりのときは驚くことばかりだったが、長年住んでいれば今の生活スタイルが当たり前になる。まさに「住めば都」。富山は米、水、野菜、魚すべてがおいしいし、たいへん住みやすいところだと思う。今度、離れて暮らす家族を招待し、観光案内できれば良いと思う。 ※富山ライトレール…富山ライトレール鰍ェ、富山港線をJR西日本から引き継ぎ、第三セクター方式で取り入れた次世代型路面電車。 (wikipediaフリー百科事典より)