一人旅
製造部圧延課 ハンドルネーム 時の旅人(20代・男性)
僕は、どちらかと言えばインドア派で、部屋に籠ってビールを飲みながら読書をすることが好きなのだけど、仲良くさせてもらっている同僚の助言を機に、一人で旅に出掛けることにした。気持ち良く晴れ渡った秋のことだ。 新たな命が吹き込まれたものたち 「出雲大社とか良いんじゃない?」 そう言ったのは、同僚の奥さんだった。 一人旅などしたことの無い僕は、旅とは目的に基づき遂行されるべきものだと思っていた。そこで、僕には予め目的地を選定しておく必要があった。テレビなどでよく見る「大遷宮の年」であったことも相まって、僕は出雲大社に行くことを決めた。 結論だけを先に言うと、僕の一般的で凡庸な脳内で形成された情景を遙かに凌ぐ程に、出雲大社は素晴らしかった。並木道から溢れ出る木漏れ日が緑の息吹を鮮やかに感じさせ、地球の創世の姿を美しく、力強く、それでいて切なく表現していた。目を閉じると、木々や、大地や、水や、風の声が聴こえてきた。全てがあまりにも素敵だったので、神の御加護というものがあるとするならば、この雰囲気のことを言うのかもしれないとさえ思ったほどだ。或いは、ギリシャ悲劇でしばしば用いられる、デウス・エクス・マキナ(※1)の一場面とさえ思った。 それでも、出雲大社を後にした時、僕は少しだけ哀しい気持ちになった。何故なら、僕の思い描いた概念だけで言うならば、僕の旅はここで終わりだったからだ。現実に引き戻される寂しさだったのかもしれない。しかし、そんな哀しい気持ちを抱いた僕の心を容易く打ち砕いたのは、ある橋の上からの川の眺めだった。ジェイ・ギャツビーが眺めた対岸の灯火(※2)とまではいかないまでも、そこには確かに、そこはかとない雰囲気を醸し出した光の氾濫を見てとることができた。 沈み行く太陽が最後に見せる命の煌めきとでも言うべき崇高な光が川の波紋を白く輝かせ、それらが僕の目を穏やかに、優しく劈く(つんざく)。そしてトワイライトへ…。僕は生まれて初めて抱いたこの名も無き感情に涙を流した。喜びや哀しみという一言では到底表現できない、僕の中で新たに生まれた一つの感情だった。僕は周りの目など一切気にせず、溢れ出る涙を拭うことも無く、一時間ばかり橋の上で立ち尽くしていた。あまりにも流麗に時を刻んでいたので、世界は僕を中心に回っているのかとさえ思った…。 今回の旅はこれで終わりなのだけれども、僕はそこから一つの教訓を得た気がする。 『嗚呼、光陰矢の如し』 (※1)デウス・エクス・マキナとは もつれた糸のように解決困難な局面に陥った時、絶対的な力を持つ存在(神)が現れ、混乱した状況に一石を投じて解決に導き、物語を収束させたという手法のこと。(ウィキペディアより引用) (※2)ジェイ・ギャツビーが眺めた対岸の灯火とは アメリカの作家F・スコット・フィッツジェラルドが執筆し1925年4月10日に出版された小説「グレート・ギャツビー」に登場する人物、ジェイ・ギャツビーが対岸に見た緑の光(灯火)のこと。