雪との闘いと緊急搬送
製造部製鋼課 ハンドルネーム ととぼち(60代・男性)
県内に住む誰もが思った事と思うが、年が明けて早々、久々の雪に閉口した。富山が豪雪地帯であることを痛烈に思い知らされた。 雪の予報は出ていたものの、どんな具合かと外に出た1月某日、一面の雪の高さに自分の目を疑った。自宅周辺にうず高く積もった雪をスコップでひとかきまたひとかきと除雪、しかしその間も雪はしんしんと降り積もり、終わりが見えない。車を出せば、いきなりの大雪で幹線道路さえ除雪が追い付かず、デコボコ、ジャバジャバの悪路に事故車が多発、大渋滞に巻き込まれて車が進む気配がない。「ちょっとそこまで」という、いつもなら数十分の距離が、とてつもなく遠い。会社の駐車場でも、埋まってしまった何台かの車の後を押して助ける。腰も腕も、全身が悲鳴を上げている。物流の滞り、ガソリンの給油制限や食料品の品薄状態など、コロナ禍と共に、災害級であった。
大雪の悪路、救急車を追って
私の両親は既に他界し、妻の母のみ存命なのだが、その義母がこの大雪の中、自宅で体調を崩し、緊急搬送されることとなった。幸い、義母が体調を崩した際には妻も私も傍におり、すぐに救急車に通報することができた。 救急車の後を追いかけたのは初めてだった。義母の無事を祈りながら、デコボコ道につかまらないようにハンドルを握る。安全運転を心掛けてはいたが、非常事態に動揺してか、はたまた大雪の悪路への疲弊からか、信号を一つ見落としそうになってしまう。かくして無事病院に到着し、付き添う妻を気遣いながら待合室で待機。無事を祈った。 義母は87歳で、年齢の割には若々しく、よくおかずを多めに作っては妻に持たせてくれる。私も料理するのが嫌いでない方なので、その空き容器に返礼と言っては何だが、煮物、酢の物、今の時期ならロールキャベツなど、ちょっとしたおかずを作っては詰めて渡す。(妻に、「クッキング・パパ」とおだてられ、義母に「美味しいよ〜有難う」と褒められて、悪い気はしないのである。) 日常の普通の生活が“当たり前”でないこと、ちょっとした事で案外脆いものであると、この大雪、義母の緊急搬送を通して痛感した。 今はまだ入院中で、もう少し病院生活を余儀なくされる義母。退院後もしばらくはリハビリが必要だが、回復して以前のように、おかずを交わせる日々が戻るようにと願っている。