家族との思い出
圧延課 ハンドルネーム 祖父とタッチ
僕がまだ幼稚園に通っていた頃、親の実家のある東京へ行くと必ず二人のじいちゃんに会うことができました。というのは母方と父方の二人のじいちゃんの家は走って30秒くらいの距離しかなかったからです。 母方のじいちゃんは病院の院長をやっていました。僕がまだ小さい頃に亡くなったので、それほど多くの思い出はないのですが、1つだけよく覚えている出来事があります。 「散歩に行こうか」と不意に誘われてついていったのですが、なぜか着いた先はおもちゃ屋。僕はじいちゃんと二人で、両手一杯におもちゃを抱えて帰ったのですが・・・家に帰り、待っていたのはおかんとばあちゃんのお説教でした。「なんでこんなに沢山買ってくるの!」と説教されながらも買ってきたおもちゃで遊んでいたのを覚えています。一度だけでなく、じいちゃん家に遊びに行くたびにこういうことがあったみたいです。 後で聞いた話ですが、じいちゃんは僕が生まれるまで物を買ったことがなく、ある時僕を連れてお菓子を買いに行ったのはいいものの、レジの通り方が分からなくて万引きと間違われたことがあったそうです。片手で数えられる程度の思い出しかないのですが、とてもかわいがってもらったのだと思います。 負けず嫌いは血筋かも 一方、父方のじいちゃんは家の横に小さな工場を建て、そこで仕事をしていました。動物がとても好きで、よく東京湾まで連れて行かれて、カモメにパンの耳なんかを投げ与えたりしていたのを覚えています。 ただ小さい頃は、こっちのじいちゃんはあんまり仲良くありませんでした。将棋や腕相撲とかゲームをしても絶対に負けてくれることがなかったので、負けず嫌いだった僕にとってはそれが不愉快だったのでしょう。暴言をはいて怒られたり、家の外に出されたりということがよくあった気がします。 能登半島地震の際に そんなじいちゃんですが、最後に会ったのが亡くなる1週間ほど前でした。一家そろってお見舞いに行ったのですが、気がつくと病室で僕とじいちゃんの2人だけになっていて、不意にじいちゃんが酸素マスクをはずしたのです。一言「好きなことをやっていきなさい」とかすれた声で言葉を残してくれました。さすがに社会人になってから、そんなに好きなことばかりをやっている訳にもいかず、この言葉で救われたとかいうことは特にないのですが、ふとしたときに思い出し、なんとなくあったかい気持ちになったり、頑張ろうという気持ちにさせてくれます。 先日の能登半島の地震の際、本棚から一つだけ物が落ちてきました。じいちゃんの形見のへんてこりんな彫刻でした。僕は彫刻を手に取り、窓を開け、春の光を浴びながらじいちゃんの思い出に耽ったりすることはしなかったのですが、ちょっとだけ昔を思い出しました。