特別企画
たらい、かまど、縁側、家族団らんの場…そんな風景がまだ息づいていた昭和の日本を思い返されて思うことはなんですか? 今回は4月29日の「昭和の日」にちなんで、懐かしい風習や、心温まるエピソードなどを2名の社員の方に紹介していただきます。
総務部庶務課 M.K(60代・男性) 私が子供の頃は、高度経済成長期が始まる前で、町内や地域社会が家族のようなつながりがあった。シーズンごとに、町内全員参加の獅子舞、運動会、ソフトボール大会、盆踊りなどのイベントが催され、毎回盛り上がっていた。参加するのが当たり前というような風潮だったから、参加人数も大勢おり、事前準備から当日の参加者の世話まで、誰に言われるでもなくみんな協力し合ってやっていた。一つ終われば反省会をして次につなげる。「活気がある」そんな言葉がぴったりの町だった。 また、イベントがなくても普段から頻繁に町内の会合が開かれていた。その事前協議のため、世話役2〜3人が各家庭に集まり打合せをしていた。父もその一人だったので、家の茶の間やいろりを囲みながら大人たちの話をよく聞いた。馬車や荷車から自動車社会への移り始めで「村道を拡張しよう」とか「用水の改修工事、共同利用の機械や設備の導入をいつにしよう」とかいう会話は、子供の私には意味を全て理解できなくても、今地域で何が起こっているのか、何が必要なのかという大まかなことを知ることができ、地域社会の勉強が自然にできたものだ。 だからだろうか。町内の為に役に立ちたい、何ができるだろうかと、若いときからずっと考えてきた。今の年齢になっても、その思いは薄れない。 農業で町を元気に 今は若者がどんどん離れて行ってしまって、高齢者の割合が多くなり、運動会も盆踊り大会も人数が揃わず開催できなくなってしまった。 けれど、高齢者がとにかく元気だ。私よりもずっと年をとった方も、現役で町内のために奮闘している。彼らは以前、若衆として行事を中心になって引っ張っていた男たちだ。皆地元愛が強い。 米や野菜作りが盛んな地区なので、シーズンになればあちらこちらで情報交換の声が聞こえる。私は彼らの中では若い方だが、意見交換に加わり、積極的に農業に精を出している。彼らのおかげで町内の生産性も落ちることなく、今も昔と変わらない収穫・収入を得ている。私は野菜作りが好きだから、野菜がたくさん収穫できることも嬉しいが、なにより町が活気付くことに喜びを感じている。 車社会になり朝出勤して夜に帰る、隣近所にいても姿を見ない日が多い中、地区の青壮年会が町内会とタイアップして行事や奉仕活動に協力してくれる。願わくは私たちがそうしていたように、若者たちが自分達の手でこの町を引っ張っていってほしい。今の活気が次世代にも受け継がれていくことを強く願っている。
業務部製品発送課 M.N(50代・男性) 昭和40年代、私が子供のころ、私の家には囲炉裏があり、そこでお米を炊くなど実用的に使っていました。朝私と妹が起きてくると、囲炉裏のそばには祖父がいて、お茶を飲んだりキセルを嗜みながら、炊飯の番をしていたのを憶えています。今思うと、それが祖父の日課だったのでしょうね。 母と祖母が作ったおかずが並び、卓袱台を家族で囲んで、朝食がスタートします。今は「個食」という言葉のとおり、毎食家族が揃うというのは難しいと思いますが、当時は必ず家族全員手を合わせて合唱をしてからいただいていました。朝も今のように慌しくなく、時間をかけて食べていた記憶があります。 思い出すのは、母の作る卵焼きです。卵焼きは家庭によって味が若干違うと思いますが、うちの場合は砂糖と醤油を加えて、甘じょっぱい味でした。 今より密接な人付き合い このように、今はあまりみられなくなった習慣が数十年前には息づいていました。 我が家は農家だったから、田植えや稲刈りは一大イベントでした。今のように農業機械を使って一日足らずでできてしまう作業ではなく、家族はもちろん親戚総出で、何枚もある田んぼを何日もかけて仕上げたものです。 100羽くらい放し飼いにしていたニワトリの卵を、祖父がよく近所に手売りしたりしていました。当時鶏卵は高価でなかなか手に入るものではなかったから、重宝がられたとあとで祖父から聞いたのを覚えています。 すべてが自給自足とはいかないまでも、おおよそそれに近い生活を送っていたように思います。 また、近所づきあいも今より密でした。夕食を隣の家に食べに行ったり、逆に友達がうちに来たり、いつの間にか家に上がってお菓子を食べていたなんてこともありました。庭には柿の木や栗の木があって、秋になれば友達と食べていました。 今では珍しい吾妻造りの設計だった我が家には、比較的早い段階にテレビが入ったこともあり、近所中の人がテレビを見にきていたことも憶えています。 今、当時を思い返してみて、心が温まるような優しい気持ちになります。昔に戻りたいなんて考えることはありませんが、昭和の日に、家族と昔話に花を咲かせるなんていうのもいいなと思っています。