9月22日「チンチン電車の日」
製造部圧延課 ハンドルネーム 探検隊長(40代・男性)
私は子供の頃からよく万葉線(※)を利用していた。私は終点の越ノ潟駅周辺に住んでいたので、高岡に遊びに行くときなどは万葉線しか交通手段がなかったし、高校生の頃は冬になり雪が降ると自転車に乗れないので毎日のように万葉線で通学していた。私の父も冬は万葉線に乗って通勤していたようだ。 万葉線は私たちにとってはなくてはならない交通手段だった。 さて、万葉線といえば忘れられない出来事がある。 私がまだ4〜5歳だったころ、祖母と一緒に万葉線に乗って新湊の町にあるショッピングセンターまで買い物に行った。買い物が終わり、電車のりばで帰りの電車を待っていた。そのときは、越ノ潟方面への電車が高岡方面の電車通過を待っていて、扉が開いたまま停車していた。私は早く帰りたくて電車に乗り込みたかったのだが、どうやら祖母が知り合いとばったり会ったようで、おしゃべりをし始め、なかなか乗ろうとしてくれなかった。私は早く帰りたかったから「おばーちゃーん」と駄々をこねた。祖母が「乗ってなさい」と言った気がしたので、一人で電車に乗り込み、祖母の井戸端会議が終わるのを待っていた。しかし――。 「プシュー…ガタン、ガタンガタン…」 扉のしまる音がして、電車が動き出した。いくら探しても車内に祖母の姿はない。幼いながらも祖母とはぐれたことを自覚した。とにかく泣きじゃくっていたが、次に停まる駅が父の働く会社の目の前であることを思い出した。私は運転手のおじさんに祖母がいないこと、次の駅でおろして欲しいことを涙で訴えた。おじさんはとても優しくて、お金を持っていない私を次の駅で降ろしてくれた。 電車を降りて、会社の守衛さんに頼み父を呼び出してもらった。父は私を見てとても驚いていたが、すぐ近くに住む親戚に連絡してくれ、車で私をショッピングセンターまで戻すよう頼んでくれた。 店内では祖母が一生懸命私のことを探していたようで、私を見た途端安堵の表情で抱きしめてくれた。私が駄々をこねたとき、祖母は「乗ってなさい」ではなく「待ってなさい」と言ったようだった。早く家に帰りたくて、私が聞き間違えたのかもしれない。 その後しばらくして、テレビ番組『はじめてのおつかい』で、万葉線に乗ったおつかいが放送された。番組でおつかいをしたのは小学生の子だったが、心の中で「私は幼稚園の頃に万葉線で“はじめての冒険”をしたな…」と思い出した。 大切な移動手段 車を運転するようになってからは、めっきり万葉線に乗らなくなった。しかしたまに万葉線が通るところをみかけると、乗客があまりいないことに気付く。けれどこの間、万葉線で人気アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のラッピング電車が走ったようだ。アニメ作家で高岡市出身の松原秀典さんの原画展のPRのためだったようだが、乗客も増え大賑わいだったようだ。 万葉線は、沿線の住民にとっては今もなくてはならない大切な手段だ。もしまた万葉線でイベントがあれば、久しぶりに乗ってみたいと思う。 ※万葉線…富山県高岡市と同県射水市を結ぶ高岡軌道線と新湊港線をあわせた総称。