特別企画
「カラーテレビ放送記念日」「ハイビジョンの日」など、9月はテレビにまつわる記念日が数多くあります。そこで今回は、テレビの放送が始まった昭和20〜30年代に幼少期を過ごされた社員の方2名に、当時、物珍しかったテレビをかじりついて観たという思い出を語り合っていただきました。
【対談メンバー】 圧延課 KBさん(60代・男性) 圧延課 TMさん(60代・男性)
一つのテレビを皆で囲んで KB:私たちが子供の頃なんて、今のように一家に1台テレビがあるのが常識なんて時代じゃないからね。 TM:そうそう。テレビを観た一番古い思い出は、天皇皇后両陛下のご成婚パレードのときかな。町の電器屋があったんだけど、店頭の売り物のテレビじゃなくて、電器屋の家に近所の人20〜30人が集まって中継を観ていた記憶があるよ。本当に部屋には目一杯の人がいたね。 KB:それほど、各家庭にはテレビは普及していなかったということだ。私の近所にもテレビがある家なんて限られていたから、いつも友人の家に遊びに行ってはテレビを観させてもらっていたよ。 TM:それからしばらくしてうちも白黒テレビを買ったんだけど、何を観ていたかな…。プロレスや野球などのスポーツや、『怪傑ハリマオ』(※1)や『鞍馬天狗』(※2)などのドラマが多かったかな。プロレスはよく観たよ。ジャイアント馬場、アントニオ猪木、力道山がまだ現役で活躍していた頃だね。 KB:確かにスポーツはよく観たな。「巌流島の決戦」といわれた、西鉄ライオンズと読売ジャンアンツの3年連続の対決となった日本シリーズは、友達の家に上がらせてもらってみていたな。当時は長嶋茂雄がまだルーキーでね。新聞に「神様、仏様、稲尾様」(※3)っていうコピーが踊ったのは有名な話だし、このシリーズ後に巨人の川上哲治が引退を発表したんだ。 TM:そうだね、今に比べて若い頃は食い入るようにテレビを観ていたな。 KB:アポロ11号の月面着陸だってテレビ中継していたから、観ていた覚えはあるよ。先日ニールアームストロングが亡くなったってニュースでやっていたな。82歳だって。それだけ年月が過ぎたってことだ。 テレビが面白かった時代 KB:その後、給料を貯めて東芝のカラーテレビを買ったよ。当たり前だけれど、白黒のときより鮮明に映るな、というのが正直な感想かな。 TM:雨なんて、白黒テレビのときは雨なのか電波の調子が悪くて砂嵐っぽくなっているのかわからなかったけれど。カラーになってから、はっきり雨だってわかるからね。 KB:カラーテレビが普及してきた頃は、歌謡番組が多くて家族でよく観ていたな。若い人たちはもう知らないかもしれないけれど、元祖御三家や花の中三トリオ(※4)などはテレビにもよく出ていたし、家族で毎晩観ていた気がする。 TM:歌番組といえば、NHK紅白歌合戦も家族みんなで観ていたな。大晦日は家族そろって年越しそばを食べながら紅白、が当たり前だったから。紅白が終われば、家族で初詣に出かけて。 KB:こうやって振り返ると、昔はテレビが面白かった。今よりも遊びの選択肢がなくてテレビばっかり観ていたというのもあるけれど、大勢でひとつのテレビを囲んでワイワイ観るのは楽しかった。 TM:ひとつの家族団らんの場だったからね。今は家族一人ひとりに部屋があって、夕食を食べたら個々の部屋へ、っていうのが主流かもしれないけれど。この間のロンドンオリンピックのときなんかは、久しぶりに家族みんなでテレビを食い入るように観たな。こんな機会が今後も増えればいいなと思う。
(※1)1960年4月5日 - 1961年6月27日まで日本テレビ系ほかで放送されていた日本のテレビ映画である。抑圧される東南アジア(第4部を除く)の人々を解放すべく、正義の使者ハリマオが活躍する。森下仁丹の一社提供番組。 (※2)1969年に放送された高橋英樹主演のNHKテレビドラマ。 (※3)1958年日本シリーズ、西鉄ライオンズ対読売ジャイアンツの決戦で、西鉄ライオンズが3連敗のあとに4連勝し逆転日本一を達成した。当時エースの稲尾和久が7試合中6試合に登板し、4勝全てを挙げるなど数々のシリーズ記録を打ちたて優勝の原動力となった。日本一達成の翌日、地元紙が「神様、仏様、稲尾様」の見出しを掲げ、以降このコピーが稲尾の代名詞となった。 (※4)元祖御三家…橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の3人組の呼び名。 花の中三トリオ…森昌子、桜田淳子、山口百恵の3人組の呼び名。 (以上、Wikipediaより)