お盆を前にして
業務部営業課 ハンドルネーム ちょい不良(わる)おやじ
一人娘が昨年春、東京の大学へ進学して、はや1年が経ってしまった。 我が家は5人家族でかつ女系家族であるが、何かにつけて、何時も家族の中心にいた娘がいなくなると、やかましいのがいなくなってホットするかと思いきや、心棒がなくなったかのような、何か寂しいものがある。年に数回帰ってくる娘の元気な姿をみると安心するのと、特に娘と会話があるわけではないが、顔をみているだけで気持ちが華やいでくる。 わたしは結婚する前は6人家族で、3人兄弟の2番目(兄と下に妹)の次男で、上と下に挟まれ、窮屈な思いをしていた。年もそれほどはなれていなかったせいもあるが、私が窮屈な思いをしている以上に、親たちはきつかっただろうと、最近になってわかるようになってきた。 兄と私は大学の2年間は重なっていた。仕送りや学費など、親たちの負担は相当なものであったろうと、今になって思うが、その頃は、別に親の大変さということは、まったく気にもしないで、とにかく友達と遊びほうけていた。 「おとん」に感謝の気持ちでいっぱい あるとき、兄貴や私がまったく着なくなって捨てるつもりでまとめてあったお古の服を「おとん」が着ていたのを見つけたことがあった。 兄貴と一緒に、「俺たちが捨てるつもりのものを着ているなんて、みっともない。やめろよ…」と、おとんに言うと、黙って笑っていたことがあった。 自分の子どもが、ちょうど自分が生意気盛りだった年齢になってきた今になってそうした出来事を思い出すと、つくづく「なんて親の心を傷つけることを言ってしまったのだろう」と自分のいたらなさを恥ずかしく思う。 その「おとん」も10年前(67歳)に他界してしまった。いまは、とにかく亡くなった「おとん」に感謝の気持ちでいっぱいだ。 お盆が近づいてきた。亡くなった「おとん」には有り難うという感謝の気持ちを忘れずにいたい。それが何よりの供養になると考えるようになった。 私はかみさんと結婚して今年で25年銀婚式を迎える。つまり結婚前より結婚後の方が長くなってしまった。私は養子ということもあってかみさんの両親と同居しているが、実の親よりも長く生活をしており、本当の親子になれたと思っている。その義理の両親も今年で結婚50年金婚式を迎える。ことしは、お互いめでたい年なので、カミさんと何かイベントを、と考えている。 今も元気に畑仕事を生きがいにしている実家の「おかん」は、季節ごとに採れる旬の野菜を私と妹にとどけてくれる。おかんには元気で長生きしてほしいとおもっている。